18

待ちに待った18祭のDVD発売日。

本編映像を見ながら、関ジャニ∞のライブには私の頑張りたいと思える理由がたくさん詰まっている、としみじみと思った。

そんな18祭に実際に行った後に書いていたキロクをここに残そうと思う。

 

◯12/17福岡 【歓喜の舞台】

「待ちわびた今日に繋いできた想い」

思い返せば、待ちわびた今日という日が来るまでに本当にたくさんの想いをしてきた。

人数減ったねという何気ない言葉に傷ついたり、レベルダウンしたと言われれば腹が立ったり、ずっとドームが似合うと思っていた人たちがホールに立っている事実に悔しさを感じたり。

想像に過ぎないけれど、当事者である5人はもっといろんな想いをしてきたと思う。

そんな5人が、5人にとっての歓喜の舞台であるドームで、目を潤ませながらこのフレーズを歌う姿に、今まで感じてきた様々な想いはすべて今日という日に繋がっていたのだと思った。

3年。5人がドームに戻ってくるまでの期間。

文字にすると短く感じるかもしれないけれど、その中には1000日を超える日々があり、それ以上の幾多の想いがある。

それでも歩みを止めず自分達が進むべき道を選択し、ドームという最終地点まで想いを繋いだ5人。つくづく、自分達の選択を正解にしていく人たちだと思った。

そして、これからも5人が思い描く歓喜の舞台を楽しみに、私も自分のためにいろんな想いを繋げていきたい、そんな風に感じた初日。

 

◯ 12/24名古屋 【応答セヨ】

「君が思うほどは まっすぐに歩いてこれなかったけど」

顔を赤くしながら、まっすぐ前だけを見て、力強く応答セヨを歌う丸山さんの姿が忘れられない。

私が好きになった丸山さんはどこか頼りなくて、優しくて甘い歌声が特徴で。失恋ソングなんか歌わせたら表情も相まって最高に切なくできるような人で。

でも、ここにはそんな丸山さんはいなかった。ナゴヤドームにいたのは、まっすぐに歩いてこれなかった道も、誇りに思っているような、自信と力強さに満ちた世界で一番かっこいい丸山さんだった。

若かりし頃に5人が想像していたよりも、ここに辿り着くまでの道のりは寄り道が多かったのかもしれない。だけど、5人が楽しそうに、誇らしそうに各々の楽器を演奏しながら歌う姿を見ていると、どんな寄り道も、デコボコ道も急な上り坂も、全部全部必要な道で、5人の足跡がたくさんついた道のり全てを誇らしく、愛おしく思う。

だからこそ、このフレーズをドームの真ん中で、新たな道のりを見つめながら力強く歌いきる丸山さんに心打たれたんだと思った。

 

◯ 1/18東京 【ひとつのうた】

「いつまでも肩を並べて 君と歩く泣いて笑って 惹かれたのはここにある熱いモノが似ているから きっとそうだろう?」

8周年の時には7人で、15周年の時には6人で歌ったひとつのうた。

肩を並べて歩んでいく7人は、キラキラしていて眩しくて、とにかく無敵な人たちで。7人はこれからも肩を並べて歩んでいくと信じて疑わなくて。7人がこれからも歩んでいく未来を勝手に想像しては誇らしげな気持ちとワクワクだけで満たされていた。

並んで歩く肩が一つ減り、それでも前に歩んでいく6人は、とにかく儚くて。6人が歩んでいく未来がうまく想像できなくて、ワクワクをたくさんもらったはずなのにどことなく不安な気持ちで満たされていた。

そして、18周年の今回。並んで歩く肩は5つになっていた。

でも、文字通り肩を並べる5人の姿は、やっぱりキラキラしていて眩しくて、とにかく無敵な人たちだった。

5人がこれからも歩んでいく未来を勝手に想像しては、相も変わらずワクワクしている。なんなら、誇らしさに関しては、今まで以上だ。

8周年の時、15周年の時とは並ぶ肩の数も違うけど、5人がここにいる理由、5万5千人のファンがここに集まる理由、私が大好きな人とライブに行く理由も。きっと何も変わってない。

「惹かれたのはここにある熱いモノが似ているから!」

これからも大好きな人たちと、泣いて笑って肩を並べて、5人が紡ぐ物語を見ていきたい。

 

◯総括

今回の18祭に限らず、丸山さんが用意してくれる時間と空間は、とにかく温かくて、楽しくて、中毒性が強い。

会場が暗くなる瞬間のワクワク、エイターの愛で照らされたペンライトの光の海、丸山さんが実在しているという事実、誇らしげで楽しそうに歌い踊るエイトの姿、みんなで声を出して一つになる会場、そして、隣で楽しそうにライブを見る大好きな人。初めてライブに入った時から、これらすべてが私を夢中にさせて離さない。

そんなライブという時間と空間に何度も楽しませてもらったし、何度も救われてきたと思う。でも、それと同じくらい何度もその中毒性にやられてきたような気がする。

せっかく宝物のようなキラキラした時間をもらったのに、その楽しさが絶大で急に自分の日常を虚しく思ってしまったり。余韻の大きさにやられて日々を消化してしまったり。そんな自分に気が付いてもっと悲しみが大きくなったり。

それがすごくもったいないと思った。こんなに素敵なものを見せてもらって、大好きで憧れな姿を見せてもらって、それで心を動かされたんだったら、これからの人生で自分にとってのプラスにしていきたい。

そして次のライブをただ受け身の姿勢で心待ちにするのではなく、そこを一つの目標地点として、そこまでにたくさんの小さな目標を達成できるような、そんな自分でいたいと強く思った。

そして、それこそが「丸山さんに誇りをもって会いに行ける自分」の姿のような気がした。

39

丸山さんがまた1つレベルアップする大切な1日が今年もやってきました。

丸山さん、お誕生日おめでとうございます。

昔読んだ本の中に「推しはファンの数だけ存在する」という言葉が書いてありました。

この世に丸山さんはたった1人だけれど、一人一人のファンの中にその人だけの丸山さんが存在しているんだと、すごくしっくりきたことを覚えています。

この言葉と出会った時から私の中でのオタクのスタンスになっています。

だからこそ、今日は私の中の、私が見てきた丸山さんについて少しだけ言葉を残したいと思います。

丸山さんは「誠実」という言葉がすごく似合う人です。

14年間も毎日欠かさず同じ時間に届けられる言葉たち。「なんてことないけど、誰かにとっては大切な日。そんな毎日を僕の目線で綴る」というテーマのもと、丸山さんの目線で綴られる毎日こそが、「誠実」そのものである気がしています。そして、毎日12時に届けられる、まるの大切な日に幾度となく救われてきた記憶があります。

丸の大切な日には、楽しい毎日だけじゃなくて、仕事を頑張らないといけないこととか、ダラダラしただけの日のこととか、そんな日には世界から取り残されたみたいな不安が残る、みたいなこととかが綴られていて。丸山さんもおんなじなんだ、と嬉しくなったり。丸山さんが濃厚接触者になったというニュースを見て不安な時も、丸山さんがサタプラを見ているテレビ画面を自撮りして載せてくれていたり。元気だよって教えてくれたり。コロナにかかった時ですら、決まった時間に更新されて、丸山さんの日常がしっかり綴られていて。

最後に必ず書かれている「また明日」という一言に、明日も楽しみだな、明日読むために頑張ろう、そんな風に思わせてもらったこともたくさんあります。

本当にいつもいつもこの日刊に救われてきました。

関ジャニ∞が6人になった時、5人になった時。そんなニュースが流れたときのTwitter、忘れられないほどに地獄だった記憶があります。

エゴサを公言する丸山さんに宛てられた「事実を知りたい」という無責任な言葉。丸山さんは見ていたんじゃないか、そう思うことが多々あります。

みんなの不安な気持ちも、全部全部見た上で、無言を貫いてくれたんだと、思わずにはいられません。丸山さんも大変な日々の中、毎日同じ時間に変わらず更新してくれる日刊は、楽しい内容ばかりで。

丸山さんは不安なみんなの心に寄り添う一つの方法として、変わらない日常を提供してくれた、と私は思っていて。

現に私自身は、そんな毎日決まった時間に変わらず日常を届けてくれる丸山さんの言葉たちに、どれだけ救われたか。言葉では表しきれないほどに、本当に救われました。

5人になってから幾度となく「リアルタイム」という言葉を口に出す丸山さん。

友よの特典映像のBBQでも、次何かあったときはリアルタイムで報告しよう、と話していたり、歌詞を話し合う際にも「リアルタイムのものがいいよね」と、1人リアルタイムにこだわった発言が目立っていた姿とか。

RE:LIVEの中間発表でも「今まではどうしてもタイムラグが発生してしまった、僕たちは先にそういうことを知っていたから」と話してくれた姿とか。

雑誌でも、「嘘なく今を表現していきたい」と話し、日刊でも「リアルタイムで届けられる喜びは何にも変えられない」と綴っていた姿とか。

そして、5人で初めて完走した8BEATでも、「時間、痛み、喜び、すべてのことを共有することがアイドルだ」と涙を堪えながら話してくれた姿とか。

嬉しい報告も、胸が張り裂けるような報告も、当たり前ながら私たちはメンバーよりもきっとすごく後に知るわけで。でもその「時差」、丸山さんの言葉を借りるとするならば「タイムラグ」こそがアイドルとファンの距離であり境界線だと思ってきたんだけれど。

丸山さんは、今度はそこの「タイムラグ」にも向き合おうとしてくれていて。

そんな姿も「誠実」そのものだな、といつも思います。

これは全部私が見てきた丸山さんの話でしかないけれど、私が見てきた丸山さんのそんな誠実なところがすごくすごく誇りです。

39歳の丸山さん。

とにかく健康に気をつけて、美味しいものをたくさん食べて、だいすきで温かい人たちに囲まれて、楽しく幸せに過ごしてください。

今年もまた、丸山さんから届く何気ない日常を綴られた言葉たちを心待ちにしています。

お誕生日、おめでとう!

25

今日、私は25歳になった。

つい最近まで、年齢が変わればそれに付随して、何かが劇的に変わっていくのだと思っていた。

25歳になった今。
年を重ねたからといって何かが劇的に変わるわけではなく、昨日までと似たような毎日が続いていくのだと、理解できるほどには成長した。

だけど、私にとって「25歳」は特別な年齢で。
小さいときからつい最近まで、自分が想像する大人はなぜか「25歳」という年齢だった。夢を語るときも、憧れを抱くときも、想像する年齢はいつも「25歳」だった。

だからこそ、来年の今日、25歳という1年間を振り返った時に、何かが大きく変わったと思える1年にしたい。
そんな決意を胸にこの文章を書くことにした。

25歳。
丸山さんが初めてテレビ朝日でドラマに出演した年齢。
25歳。
丈くんが17年の歳月を経てデビューという夢を叶えた年齢。
25歳。
私は、何が出来るだろう。何を成し遂げられるのだろう。

思い返せばいつも、誰かになりたかった。
ドラマの登場人物から始まり、ある時は輝かしい記録を残すスポーツ選手に、ある時は可愛いと噂になる人に、ある時は屈託ない明るさが眩しい人に、そして今は仕事に誇りを持っている人に、なってみたいと思っている。

前に見たクィア・アイという番組で『片足が一歩外に出ている』と指摘されている人がいた。
どこかに自分らしく生きられる暮らしがあるはずで、だからこそここは自分の居場所ではないと決めつける状況を、そのように指摘されていた。

『片足が一歩外に出ている』

24年間の私の生き方のようだ、と思った。
今いる場所よりもっと自分に合う場所がある、そこに行けばなりたかった「誰か」になれる、そう思ってきた。 
だからこそ右足は現実世界にありながらも、左足はいつも迷子だった。

片足で生きていることのメリットって、多分言い訳がしやすいことなんだと思う。「ここは自分の本当の居場所じゃないから」すべてこの一言で片づけられる。言い訳ができれば、心が休まるし、安心する。 

でも、今手に入れたいのは束の間の安心じゃなくて、小さいときに夢見た「25歳」に近づくことで。
だから、今いる場所にしっかりと両足で立って、まっすぐ前だけを見つめながら、しっかりとした足取りで自分だけの人生を、自分だけの道を歩いていこうと思う。

それと同じくらい、片足で生きてきた24年間を大切にしたい。片足で得たたくさんの宝物がたくさんあると思うから。

失敗してもカッコ悪くてもいいから、片足で生きてきた24年間を大切に抱きしめながら今度はしっかりと両足で生きいく。

25歳。
年を重ねることに付随して何かが変わることはない。
だから私は、年を重ねることを一つのきっかけにして、変えていく。